チェンマイの空は、今日も霞んでいる。

チェンマイの夕暮れの写真

ほんの2年前の話だ。

息子はまだ日本にいて、夫に忍び寄る病は、その影さえなかった。

そして、なぜだか、2年前の春から、息子はチェンマイに住むことになり、私たちは旅の予定を変更して、チェンマイで何度も彼と会うこととなった。

娘も含め、家族全員でチェンマイで年を越す。

1ミリも考えていなかったことがその年、実現した。


それからしばらくして、新型ウイルス感染症が世界中に広がり始めた。

タイでも急速に感染者が増え、とうとう夜間外出禁止となり、その後、非常事態宣言下の生活に入り、街の中が一変したのが、去年のちょうど今頃の話だ。

閉鎖されたマーケットの写真

宣言が出る直前に、突然、息子は仕事を失い、帰国するかタイに残るか、私たちは、連日LINEで相談した。

チェンマイのお寺の写真


彼が、知り合いのタイ人に、お寺に連れて行ってもらい、お坊さんに占ってもらったと報告を受けた時、あぁ、タイに残るんだなと思った。

日本で見ていた苦しそうな彼の顔を思い出すと、とても帰ってこいとは言えない。

チェンマイの郊外生活で起こるいろいろな出来事、それを知らせてくる彼からのLINEに心配したり、安心したり。

そんな思いでハラハラする中、今度は夫にがんが見つかった。

息子にそう告げた時、たとえ会えなくとも、彼の存在はとてもありがたかった。

今も、いろいろと相談している。

チェンマイで会えることを待ち望んでいる夫。

それが今の明るい希望にもなっている。

いろいろと助けてくださっているタイのみなさん。

それが唯々ありがたく、私たちの、タイへの想いが深くなった気がしている。

1年、2年となんとかみんな生き延びた。

ぼんやりと考えていた老後生活とはどうやら違うことになりそうだが、それもまた良しだ。

それでは、またね。チョークディナカー